あなたの初めての海外の思い出、何が印象に残っていますか?
初めてみる景色、街並み、そこで暮らす人々、すべてが目新しくて、刺激的ですよね。
私のはじめての海外経験で強く強く印象に残っているのは、英語でのコミュニケーションにまつわることです。
もう20年も前のことになるのですが、英語に限らず対人関係の核になることを強く意識するきっかけになった出来事について綴りました。
(2020年に書いた記事を加筆修正しました)
はじめての海外は、高校のニューヨーク研修旅行
普通の県立高校に通っていたのですが、初めての海外研修制度ができたんです!
中学生の頃から海外への興味がむくむく湧いてきていた私、このチャンスに飛びつかない手はない!
選抜試験もなんなく乗り越え無事に参加権を得た高校2年生の私は、初めての海外・ニューヨーク行きを心待ちにしていました。
あの事件が起こるまでは。
研修本番を前にして…ニューヨーク同時多発テロ事件、そして炭疽菌の驚異に世界が震撼していて、敢え無く、あっけなく、研修中止となりました。
そんな私のために立ち上がったのが母。
母娘二人の海外旅行を提案してくれました。
当時どんなに落ち込んでいたかは実はよく覚えていないのですが…ニューヨークいけなくなって可哀想だったからシドニー旅行に行ったのよと母が言っていました。
改め、初めての海外は、母娘2人きりのシドニー旅行♡
母は二度目の海外旅行。
私は先述の通り、初めての海外。
当時母の従姉妹が仕事でシドニー在住だったため、ツアーではなく、個人旅行でした。
私は飛行機も初めてでドキドキわくわくの中、シドニーの空港に到着。
添乗員さんのいるツアーではないし、空港内に頼る人はいない。
といっても日本からの直行便ですし、個人旅行でも普通は特にサインなど見てなくても人の流れにのって入国審査の手続きへいけるくらいなんですよ。ふつうは。
降り立った空港で、いきなりの迷子事件
そのとき私達は、飛行機から降りてすぐのところのトイレに入ったんですね、それが始まり。
ゆっくりトイレに行き、通路に戻ったときにはもう同じ便の乗客たちは誰もいなくなっていました。
そしてオーストラリア入国への順路がわからなくなり、シドニーの空港で迷子になった母ひとり子ひとり…ウロウロうろうろ
たどり着いた先は、出国手続きカウンター?!
オーストラリアに入りたいのに!入国できずに出国?!
今思えば、Transit乗換手続きの方にいっちゃったんですよね。
とにかく到着していきなり迷子、焦る焦る。
想定外の事態に陥りながらも、母がカウンターでなんとか状況を伝え、無事入国の手続きをすることができました。
伝えたい気持ちに勝るものはなし。
5泊ほどの旅行だったと思います。
シドニーの観光名所をまわり、コアラにも会ったし、中華レストランで初めてのフィンガーボール体験や、日本ではおめにかかれないスイカのジュース、トイレのドア下めっちゃ開いてる衝撃、、etc
いろいろと刺激的で楽しい旅ではありましたが、この空港でのてんやわんやが何より鮮明に覚えているのです。
英語の成績だけは優秀だった高校生ですが、私は出る幕なし。黙っているだけでした。
それに引き換え、母は強し。やるしかないから、やる。
自分から言葉を発して、伝える。それしかないですもんね。
正しい文法とか、正しい言葉のチョイスとか、恥じらいとか不安とか。
それよりなにより伝えたいことを相手になんとかして届けることが大事なんだということを母が姿で示してくれた、私にとってはとても大きな出来事でした。
コロナ禍で様々な行事が中止になった2020年、子どもたちの国内外の研修旅行なども例外ではなく…そんな中思い出した、私の初めての海外旅行の話でした。
この旅でもう一つ鮮明に記憶している出来事があります。
続シドニー旅行記:1冊の本を買うために極限に緊張していた話。
受験英語しかしていなかった高校生の私がどんなに英語を話せなかったか…。
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